プロブレム・ソルバーよりヒントを得たアークテリクスのデザイナーは、ユニセフのイノベーション・オフィス(Office of Innovation)からの招待に応え、世界で最も寒い首都、ウランバートルへ出向きました。50万の都市居住者が利用するシェルターの一種、ゲルの保温効果の向上を目指す世界的な取り組みに協力し、アウトドアで培った過酷な気象環境に対する知識を役立てることが目的です。課題は石炭燃料による大気汚染を原因とする子供の健康問題への取り組みでした。
Arc’teryx(アークテリクス)は、デザイナー、完璧主義者、製造者、アウトドア愛好家といった特徴を持つ人々の集まりです。以下の各ストーリーでは、難題の解決に取り組み、デザインの力によって可能性を生み出している人々を取り上げます。
これからは製品という枠組みを超えて、問題解決への挑戦を人から人へ広げていくべき時代です。
デザインこそが、私達が切り開く道です。
アークテリクス本社にはツール部屋で働くパット、ビル、クリスがいます。。彼らの仕事は機械をカスタマイズし、アークテリクスのデザイナーがデザイン上で仕事で必要になるものを何でも作り出す場所。ある日彼らの元に一通のメールが届きました。その日はたまたまパット・フィッツシモンズが「メールを開く」椅子に座っていて、シニアデザインのナタリー・マルシャンからのドアを作るのを手伝って欲しいというリクエストを受けていました。
フィッツシモンズもまたプロブレム・ソルバーの1人です。ドアが必要ならRONAへひとっ走りして、ドアを見つけて半分に切り、必要な仕様に調節すればいいな。そう思って承諾した彼は、その日のやることリストに「ナタリーのドア」を加えました。この時彼は、8,186km離れた、世界で最も空気が汚染された都市で、子供の健康に取り組む世界的チームに参加することになるとは思ってもみませんでした。
冬も半ばになるとウランバートルの気温は-40°Cまで下がり、150万人の居住者はトン単位の石炭を燃やして、暖をとります。
ウランバートルの空気はずっとこのような状態であったわけではありません。モンゴルが市場経済民主主義に移行した1990年以降、移民が大量に都市へ押し寄せ始め、ウランバートルの町としての規模は3倍に膨れ上がりました。今でも毎年8,000世帯がやってきます。新たな居住者がゲルと呼ばれる伝統的なフェルト製円形テント住居を町外れの丘のにやみくもに張り、精製されていない石炭を料理や暖房のためにストーブに使うため、ウランバートルの大気汚染は衝撃的なレベルにまで跳ね上がりました。
PM2.5(とは直径2.5ミクロン以下の発がん性微粒子物質)の濃度はとてつもない数値に達し、そしてそれによる急性呼吸器感染症(気管支炎や喘息、肺炎)、早産、自然流産が増加しました。この空気中の粒子状物質2.5というのは、血流だけでなく血液脳関門を通過するほど小さく、ウランバートルではこの濃度が、世界保健機構(WHO)の基準を12倍以上上回るレベルにまで達しました。
つまり有害大気は赤ちゃんや子供の脳組織を損傷し、認知発達を妨げているということです。しばし死に至らしめることもあります。
2018年2月、ユニセフとNational Centre for Public Healthは、「Mongolia’s Air Pollution Crisis: A Call to Action to Protect Children’s Health(モンゴルの大気汚染危機:子供たちの健康を守るための呼び掛け)」を発表し、警鐘を鳴らしました。空気汚染のことは誰もが知っていましたが、子供と母親の健康とを結びつけて考える人がいなかったからです。一時的な問題と思われていたものが、子供に及ぼす持続的な健康や神経への影響は、モンゴルの将来にかかってきます。
それは簡単な解決策のない非常に大きな問題でした。そしてこのような課題こそが、タンヤ・アコーンが腕まくりをして取り組む問題です。
「私は人よりも楽観主義者です。」ユニセフのイノベーション・オフィスのシニアアドバイザー、タンヤ・アコーンは言います。
彼女はそうでなければならないのです。なぜなら彼女の役割は、世界で最も解決困難な問題に毎日立ち向かうことなのです。
イノベーション・オフィスは70年の歴史をもつUnited Nations Children's Fund(ユニセフ)に設置された協力部門で、スタートアップの考え方とテクノロジーを適用し、243ヵ国に広がるつながりや関係を活用することで、最善の解決策を子供たちのために生み出します。
「私たちは既成概念を打ち破るようなこと、根本的に異なることにトライする必要があります」アコーンは言います。これをモンゴルに当てはめて言えば、文字通り大気を変える試みを行うということです。
ウランバートルの汚染は、街の4ヵ所の石炭発電所、3,200台の低圧蒸気ボイラー、そして505,000台の自動車とバスも原因の一端ですが、最低でも半分は、ますます増え続けるゲル地区の世帯が冬の間暖かく過ごすために利用する非効率な暖房に起因しています。
ユニセフの計画は、ゲルがもっと効率よく暖かくなるように「再設計」するというタスクを、世界の専門家チームに与えることでした。ウランバートルだけでなくモンゴル全体と、都市化が進み空気汚染が広がっている、隣国のカザフスタンやタジキスタンでも展開できるものを。
しかしまずは、アコーンがプロブレム・ソルバーのチームを編成しなければなりません。
ユニセフのカナダオフィスはアークテリクスにも電話をしました。「ある厳しい環境向けデザインプロジェクトを始動しています。サポートいただけることを願っています」
シニアデザインチームのナタリー・マルシャンは2018年3月、同僚で素材開発者のロミー・パターソンと一緒に、ウランバートルののオフィスにいました。「21世紀ゲル」プロジェクトに関わるアークテリクスのドリームチームとして参加していたのです。
イノベーション・オフィスが集めた世界的シンクタンクには、スタンフォード大学の天才タイプから、建築事務所Kieran Timberlake、ペンシルべニア大学のCenter for Environmental Building and Design(環境に配慮した建築と設計センター)、ゲルハブ、そしてホストであるユニセフの代表者まで出席していました。
マルシャンはファッションデザイン学校へ行った後、21歳でカナダの伝説的なサーカス集団、シルク・ドゥ・ソレイユに入り、衣装部の部門長として10年間働きました。アークテリクス社内ではカリスマです。しかし、彼女が足を踏み入れたこの集まりは彼女が心地よく仕事をできる環境とはかけ離れた場所でした。「自分が全くのバカに思えた」と3ヶ国語を話すマルシャンは言います。「皆が学術派だったから、すごく怖じ気づいた」
彼女は3週間かけて簡単なリサーチを行ってから、ウランバートルに降り立ちました。「キャンプでテントに泊まったことはあります。でもゲルについて知っていたのはその程度」
でも、マルシャンの「知らない精神」はスーパーパワーです。「私の仕事における強みは質問をすることだけ。何が必要か、何が望まれているか、何がうまくいってるか、何がうまくいっていないか。あの集まりには物事をよく知ってる博士がたくさんいました。でも私たちがモンゴルについて思っていたことと実際は全く異なりました。ゲルでの快適な温度についてミーティングをしていた時、20度は冬の屋内では快適な温度だと思っていたけれど、実際にゲルを訪ねてみると、水着になりたいくらいでした。すごく暑かった」
彼女が質問をするにつれ、彼女とパターソンの生地知識は役に立たないことが明らかになっていきました。ゴアテックスはモンゴルでは入手が困難で、手が届くのはフェルト。この状況に完璧に合った保温生地です。シンクタンクのメンバーは、それぞれの専門知識を活用してゲルを多方面から分析していて、残されていたのはドアのみでした。
「何も知らずに会議へ参加し、プロジェクトに参加したいということだけわかって帰ってきました。私たちが持っているリソースを持たない人を助けたかったんです。自分の知識を使って誰かの生活を変えられるチャンスを与えられたんです」
カナダの税関が木製のドアの国内への発送を許可する可能性はありません。だからマルシャンは、自分の休暇を使ってもう1週間モンゴルに残り、地元のガイドとともに草原地帯へ旅に出ました。ゲルで生活する家族の下に滞在し、カードゲームをしたり、ウォッカを飲んだり、たくさんのダンプリングを食べました。彼女はドアと土台の間に作られた隙間やフェルトテント周縁の隙間をたくさん写真に撮りました。毎日の使用によりできるこれらの全ての開口部が、冬の寒さが入りこむ原因です。
彼女はこれらの空隙を埋める方法を思いつかなければなりませんでした。モンゴルの平均月収は966,000トゥグルグ、約520カナダドルです。安く、しかも設置も製作も簡単でなければなりません。
そのとき5歳のとき祖母を訪ねてケベックへ行った時のことを思い出したのです。ケベックの冬の気温は-20°C前後です。彼女は祖母がドア枠に沿わせる「ヘビ」を覚えていました。「ヘビ」とは砂が詰まった生地でできた長いチューブで、隙間風をブロックしていました。
彼女がアークテリクスのノースバンクーバー・デザイン本部に戻ると、パット・フィッツシモンズに相談しました。彼女の頭の中にあった、このプロジェクト全体に対する熱意やモンゴル人が自分達の案を受けて入れてくれるかどうかの不安、そして自分は果たして適任なのかといったことを伝えました。
「一人でプロジェクトに取り組み自分とだけ対話していると、堂々巡りをしているなと気づく時が来ます。パットに相談したとき、彼ならやってくれるとワクワクに変りました。」
フィッツシモンズは、ヘビの単純さはぴったりのアイディアだと言いました。そしてドアを作り、彼女はそれを裁断テーブルとミシンの間にセットしました。フィッツシモンズはそれをドアとは考えませんでした。「それは扉でした。2019年から3000年前への、この小さな信念の居住地への、そしてモンゴル人やモンゴルという国を精神的に反映するこの住居への扉でした」
そして、マルシャンは断熱性カーテンをアコーディオン式のダンボールで作り、反射素材で覆いました。これはシャワーカーテンのようにドアの前に引くことができ、夜は保温するための追加層にもなります。
「片手で開け閉めが出来て音がしないものでなければなりません。皆が同じ部屋で寝ているから。夜中に目が覚めて、外へ出なければならない時もあるだろうから、音のしないものが良いのです。」 テーブルからミシンへ移動するたびに、彼女はドアを開け、カーテンを大きく開きます。そうやって動作の摩擦具合を1日に50回はテストしていました。
ドアの改良を重ねた仕様書は、地元の素材で再現するためにユニセフのモンゴルオフィスへ送られました。11張りのゲルが2018〜2019年の冬にテストされることになりました。そのうちの6張りは居住者のいないゲルとして町外れのテスト用地に設置され、すべての数値が測定・モニターされます。ゲル地区に設置される5張りの家族用ゲルもテストの一部です。
計算上ではドアの断熱性の問題を解決したように見えていますが、実際にはどうか実践するのです。
適応力があり人に好かれるタイプの38歳、ラクハグバは英語を独学したと言います。ユニセフの地元パートナー、ゲルハブから雇用され、11月に開始されるデータ収集に間に合うように、図面の山を6張りのテスト用ゲルにするという任務を受けていました。
それは壮大なスケジュールでモンゴルのひどい交通渋滞も考慮されていませんでした。「縫い物をしたことは人生で一度もありません」ラクハグバは言います。「英語が理解できただけでした」 彼はコミュニティサイトに広告を出し、裁縫学校を訪れ、そこで会った小柄で手強そうな女性教師に言われます。あなたが必要としている技能を持つ生徒はいないが、自分がおそらく手伝える、と。彼が訪ねた小さなスタジオは、換気が良くなく、旧ソ連のスタイルを紹介する古いファッション雑誌の切り抜きで飾られ、古いミシンが真ん中に置かれていました。彼は彼女に図面を見せました。彼女は理解したようでした。
マルシャンには、うまく行っているように見えました。「モーは素晴らしかった。彼は入手可能な物をすべて写真に撮ってくるんです。私たちがフックが必要だと言えば、モンゴル版東急ハンズのようなところへ行って、そこにある全てのフックの写真を撮って、これなら手に入ると言うんです。
裁縫師が作れないかもしれないなんて、誰が想像したでしょう。それをマルシャンとフィッツシモンズは、2回目のシンクタンクの集まりと、ドア・インサレーション・パッケージの設置状況チェックのためにウランバートルに戻った1月に知ることになります。デザインに問題があったというよりは、カナダ人が関わっているのが道理に合わないと思われたようでした。
使い物にならない構成部品を集めて、他のミシンを探しにいきました。
2019年1月の大気質指標は963ppmでした。ノースバンクーバーでは、フィッツシモンズが自宅を出発した時15ppmでした。(100ppm以上は危険と考えられます)。「その環境の中に立ってみないと、それがいかに非人道的か理解できません。」フィッツシモンズが6ヵ月間ずっと気に病んでいた問題について述べます。
彼はモンゴルを嫌いになりたかったのです。「どこへ行っても焦げ臭い。煙がすごい。問題だらけだ。でも、この国、人々、そして空はなんて美しいんだ!」 彼はモンゴルと恋に落ちたのです。
彼らは思いついた概念を、ベストな方法でスタートできるよう準備しました。彼らがその時必要としていたものは、ヘビとカーテンを実際に作る作業場だけでした。幸運なことに、シンクタンクに招待されていた発明家でユルトビルダーのオランダ移民、フロイト・バンダーハーストが面倒を見ると言ってくれました。彼らは公式セッションを抜け出し、必要な物を求めてウランバートルの屋外マーケットへ急ぎます。
彼らはやきもきしながらも、このような志を同じくするプロブレム・ソルバーを見つけられたことにワクワクしていました。氷点下のなか腕まくりをして、大きな音をたてながら試作品を作ります。マルシャンはミシンをかけます。彼らは、試作品を設置して、地元の人に見せ、感想を得るのが待ち遠しくて仕方ありませんでした。
2019年6月になる頃には、ペンシルべニア大学は冬の間数千ものデータをもとに調査を進めていました。
ドアのカーテンやヘビを含む、より良いインサレーションの包括的パッケージは、エネルギー消費量を55%削減していました。
タンヤ・アコーンとモンゴルの代理代表スペシオザ・ハキジマナ、そして彼らのチームは結果について明快でした。「これは状況を一変させます」
「問題は巨大で、子供と妊娠中の女性への影響は甚大です。しかし、電気暖房と電気コンロを併用すれば、石炭暖房のゲルの使用は段階的に廃止していくことができると、データは示しています」と、ユニセフのモンゴルチームの代表としてハキジマナが2019年6月後半に発表しました。期待は危険度と同様に高く、スイス政府、オランダ政府、マニトバ国際協力評議会、モンゴル科学技術大学など、参加するパートナーが増えるほど、参加者全員に非常に大きなプレッシャーがかかります。しかし、拡張されたオフィスには、楽観的な空気が漂っています。
今年の冬、プロジェクトはモンゴルで2番目に汚染がひどいバヤンホンゴルという、ウランバートルから640km東にある町へ移されます。ここの知事は、都市化が進むこの町の空気汚染への取り組みに対して極めてモチベーションが高く、ユニセフとのコラボレーションで2022年までに空気をきれいにするという目標を掲げています。省エネ型プロトタイプを、このわずか9,600世帯が住む小規模な町の7,000のゲルと煉瓦造りの家(バイシン)に展開することで、チームは何が機能して、何が機能しないかを真に証明することができるでしょう。
「私たちはデザイン、テクノロジー、アウトドア、建築、学術界の専門家を一堂に集めました」とハキジマナは振り返ります。「すべてのパートナーが試作品の製作、データ監視、エネルギー生成、構造ソリューションにおいて多大な貢献を果たしてくれました。私たちはこの素晴らしいコラボレーションの利益をすでに目にしています。これからは、これらを地元の知識やソリューションと結びつけ、居住者の石炭からクリーンエネルギーへの移行を支援します」
ユニセフのアップシフト(UPSHIFT)は、子供を育成するための主要アプローチを組み合わせ、子供がコミュニティにおける課題を認識し、起業家精神にあふれたソリューションを生み出すのを後押しします。アップシフトへのサポートにご参加ください。
11月6日、アークテリクスはwww.arcteryx.comでの売上から得た収益金を100%ユニセフのアップシフトプログラムへ寄付します。
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