ティボーのスキーの世界への入口は最初はカメラだったが、その一面で満足したことはない。力強いフリーライダーとして、彼のカメラマン的考え方は、結局のところ競争するという全ての欲望をたたきのめし、表彰台よりも冒険を求めるようになった。旅と新しい経験に対するティボーの欲求はとどまるところを知らず、他のスキーヤーを説得して世界中をまわる彼の撮影旅行に連れて行き、その偉業を記録した。その撮影旅行ではプロデューサーハットを被り、その現実的で駆け引きの上手い気質でこの突飛な計画を落とし込み、毎回映像作品として実を結んだ。フランスに戻ったティボーは、自分のドキュメンタリーだけでなく、他の前途有望なフィルムメーカーたちのためのプラットフォームを提供し、アドベンチャーフィルムのムーブメントを先導している。ちなみに、ブール=サン=モーリスで行われるウィンター・フィルム・フェスティバルは、彼が立ち上げたものだ。
主な実績
- 2004年、大きな事故を経験したにもかかわらず、スキーへの情熱を仕事にすることを決意
- 2009年、ロシアにて、フリーライド・ワールドツアーで第3位に輝き、表彰台に上る
- フリーライド・ワールドツアーで、ランキング6位と総合13位につける
- ヨーロッパの屋根と呼ばれる5000 m級のエルブラスピーク(Elbrus Summit)の登頂
- 千島列島への冬のスキー・セーリングツアーから生還
- 山では毎日新たな発見をし、飽き知らず