カナダ人の父とオーストリア人の母の間にイングランドで生まれたクエンティンはその歩みから、世界的に知られる運命にあった。生意気な若造だった頃に、クエンティンはウェールズで父と共にクライミングを始めてすぐ、ドイツにあった彼の学校のアルパインクライミングチームと共に、アルプスに行くことになる。そこから南アフリカに移り、トゥファの岩と格闘するようになり、サーフィンではワールドクラスに並ぶようになった。スケートボードへの熱意によりクエンティンは支持を得るようになり、スケートパークの開発に尽力。そしてバンクーバー島のピアソンカレッジへ入学する。彼のクライミングへの情熱がスパークしたのは、カナダだった。ペルーのチャクラタフの東壁のようなハードな新しいアルパインラインを追い求めるようになり、クライミングの新たな実践にハマる。大学へ進んだクエンティンは、機械工学の学位を得た。世間的にはマウントテンプルのStriving for the Moonのルートを制したように、ソロクライミングで有名だ。彼にとってソロは、個のエネルギー解放を感じさせる。プライベートでは、友人やパートナーの間では機転が利き、強靭でポジティブなエネルギーに満ちていることで知られている。
主な実績
- ペルーのチャカラフル・エステ(Chacaraju Este)にて新ルート、ザ・デビルズ・リーチアラウンド(The Devil's Reacharound) (M6、5.10)を開拓
- パタゴニア、トレ・エガー(Torre Egger)のTitanicにおいて、13ピッチ編成、グレード12cの新たなバリエーションルート、エムエーズ・ビジョン(MA’s Visión)を開拓
- カナダ、テンプル山、ストライビング・フォー・ザ・ムーン(Striving for the Moon)(1400m、AI6)のソロクライミング登攀に成功
- 中国の黎明にて、13c/dグレード(ギア/ミックスルート)のエア・チャイナ(Air China)登攀
- カナダ、キッチナー山にて、グランド・セントラル・カウロア(Grand Central Couloir)(AI4、M6)をソロクライミング登攀
- カナダのトゥゾ山にて新しいルート、ハイディング・イン・プレイン・サイト(Hiding in Plain Sight)(AI5、M5)を登攀成功